謳歌連綿~創作物

実験惑星 - 前編

 麻宮冴子が氷室大学の研究室で、主任として外宇宙からの電波解析プロジェクトに加わってから四年が経つ。
 むろん、その間にはさまざまな経緯があった。不況による研究費用の削減といった憂き目にも何度もさらされながら技術の進歩は低コストを実現し、どうにか解析プロジェクトは細々とつながってきた。
 とはいえ、あるときには不許可の人工衛星の電波に大きな期待をもたげて慌しい日々を過ごし、別のあるときには故障によるノイズに気を張り詰めながらも、『今回も結局何もなかったか』を繰り返して過ごしてきたのである。いつ無駄なプロジェクトだと判断され切られないとも限らない。
 それならそれで仕方がない。研究員たちもほとんど片手間にやっている状態で、なんとなく解析作業やたまのメンテナンスを行う――というのが日常になっていた。
 だから、朝っぱらから電話が鳴り響き叩き起こされるなどということも今までまったくなかったのだ。
「まだ七時前じゃないの。ロクでもない用事だったら許さないよ」
 枕元から携帯電話を取ると、冴子はベッドの中であくび交じりに当直の研究員を脅す。
 彼女の寝起きの悪さを知る後輩の湯浅那美は、少し声を上ずらせながら応じた。
『それが、大変なんです。こんなこと有り得ないんです。とにかく、早く研究室にいらっしゃってください』
 冴子に対する怯えではない。彼女は焦り、途方にくれているようだ。
「なに? 異星人が挨拶文でも送ってきたか、彗星が間もなく地球に衝突することでも判明したとか?」
 冴子にはそれくらいの動転ぶりだと思えた。何せ、今までは勤務時間外に叩き起こされたこともなかったのだから。
『そういう訳じゃないと思いますが……』
 口ごもる那美の語尾に重なるかすかなノイズに、自然のものではない響きが混じった。それも単なる機械音や雑音ではない。
 別の人間、男の声だ。
「なに、誰かいるの? また矢沢でもちょっかい出しに来てるのか」
 機械工学専門の幼馴染みの名を口にするとき、彼女は実に嫌そうな表情を作る。
『ええ、その、確かに矢沢さんも来てるんですが……』
 那美の説明では要領を得ない。いや、彼女も説明に迷うような事態が起きているのかもしれない。だからこそ、冴子にその目で見て確かめて欲しいと伝えたのだろう。
 口で説明しにくいことなどとは、一体何が起きたのだろう。
 冴子の研究者本来の好奇心が大きく頭をもたげてきた。
「わかった。すぐ行く」
 電話を切り、素早く身支度をしながら彼女は、今度は『今回も結局何もなかったか』で終わらないようにと祈っていた。

 那美からの召集を受けたのは冴子だけではなかったと見え、さほど広くない研究室に研究員のほとんどが集結していた。彼らの多くは解析用のコンピュータ群を前に茫然と突っ立っている。
 その光景を見て茫然としそうになって、冴子は無理矢理脳を働かせた。
「どうしたの、時間のひずみの罠にでも引っかかった?」
 彼女としては後輩か、よく機材の検査という名目で研究室に侵入している幼馴染みからの返答を期待してのことばだった。
 しかし、ことばが返ってきたのは別のところからだ。
『あいにく、わたしも時間は操れない。実に平等なものだよ、時間というものは。終着点は違うかもしれないが、流れは平等に過ぎ行く。川の中の魚は、サメだろうがイワシだろうが同じ水に浸かっているように』
 スピーカーから流れたのは若い男の声だ。聞き覚えのない声だと思うと同時に、冴子はそれが今朝の携帯電話からかすかに聞こえたあの声の正体だと確信した。
「どなた? ……どこと繋がってるの?」
 呼びかけてから、那美に問う。だが、彼女の後輩は首を振るだけ。
『それは繋がってる、ということの定義による。接続可能かという意味なら、我々は限りなく繋がっていると言える。しかし、わたしの本体がどこか別のところにあるのかという意味であれば答は〈いいえ〉だ』
 ――こいつは何を言ってるんだ?
 遅ればせながら、冴子は思考の迷宮に陥った。そもそも、〈こいつ〉とは一体何なのか。誰かの勘違いでこれがどこかとの通信である可能性もあると思い確認しても、通信中であることを示すランプは点灯していない。
 それどころか矢沢辺りが確認のために行ったのか、ネットへ繋がるための回線などはすべて引っこ抜かれていた。つまり、解析システムは孤立しているはずなのだ。
 誰かが録音したものを再生しているといった可能性はあるが、そんないたずらが誰の得になるというのか。それに、その可能性もすでに他の研究員たちが潰しているだろう。
「あなた、なに?」
 何をすべきか自問自答した挙句冴子の口を付いて出たのは、実に単純な質問だった。
 結果的にはそれが一番手っ取り早かったのかもしれない。
『わたしはゼロ。本当はもっと長い固体識別名称を持っているが、きみたちには発音不可能だからそう呼んでくれ。わたしがどこから来たのか、画面に出そう』
 普段は解析経過を表示する大きめのモニターの表示が切り替わり、一枚の図が広がる。だいぶ領域を広く取った星図だ。
 地球、と示された青い点が端にある。その反対側の端に赤い点が打たれ、座標が並んでいた。
 謎の声の主はそこから来たというのか。科学者たちは顔を見合わせる。
「信じられん……」
「しかし……肉体はどこにあるんだ?」
「本体はここにあるということは、精神生命体のようなものだということか?」
 驚き、まだ完全に納得はできていないものの、研究者たちは持ち前の好奇心と分析力を振るい始めた。一度我に返ると次々と湧いてくる疑問を矢継ぎ早に口にする。
『身体は置いてきた。この星には、わたしの身体を再現できる装置がないようだからね。まあ、それはいい。所詮肉体などひとつのハードに過ぎない。わたしの星では身体を取り替えるのも普通のことだよ』
 たちまち、科学者たちはゼロに夢中になった。
 冴子を始めとするまだ懐疑的な科学者たちや矢沢が連れてきた技術者たちがシステムの状態や周辺を調べたが、いたずらの痕跡は微塵もなかった。まぎれもなく、システムの中にゼロは存在するのである。
 そうとまでも判明してもゼロが本人の言う通りの存在だとは限らないと考える科学者もいたが、興奮に包まれた研究室でそれを口に出せる者などなかった。それに、ゼロが未知の知識や技術を伝える段になれば、完全に焦点はそちらに移っていく。
 ただファースト・コンタクトの一報は三日間、冴子らの配慮で極一部の人々にだけ伝えられるだけに抑えられた。表向きはまだ確信に至らないという理由だ。
「どうだ、どこまで信用できると思う?」
 カメラもマイクもない屋上で、矢沢は缶コーヒーを片手に幼馴染みに声をかけた。
「正直さっぱりわからない。いたずらじゃないのは、充分過ぎるほど確認したんでしょ?」
「ああ、いたずらでないことは確信してる。でも、あいつが言う地球より高度な文明があるのなら、俺たちの知らない方法でシステムを動かすことは可能だろう」
「本体が来てるとは限らないか。来ているとしたらそれなりの理由があるはず……例えば、地球のネット上の情報を解析するためとか」
 ゼロの母星の言語は当然地球の言語とは異なる。しかし彼は日本語を話していた。それについて質問すると、彼は『ネットの情報を元に言語や文化について学習した』と答えていた。
 それが本当ならば処理能力と適応力が恐ろしく高い人種だと、研究者たちは驚いたものだ。それに、コンピュータ内で自分という存在を形作ることができることからしても、構造物に存在の在り処を拠らない精神生命体ではないかと推測されていた。
「地球の情報が目的だとすると、すでにその目的は果たしたことになるな」
 今はゼロの本体があるはずのシステムは孤立したままだ。それでも、ゼロは接続しろとは要求しない。
「別の接続方法があるのかもしれないよ」
「そうだな。精神生命体ったら、幽霊みたいなものなんだろ? 本人はそこまで万能な生物じゃないとか言ってるが」
「でも、何もかも疑ってたらきりがないかもね」
 風が強くなってきた。なびく髪を見て解けかけているのに気付き、冴子は長い髪を縛りなおす。
「あーあ、それにしても拍子抜けだな。宇宙人が地球にやってくるときはUFOがどこかに降りて、ニュースが駆け巡って……とか、いきなりアメリカが記者会見を始めるとかさあ、そんなのを想像してたのに」
「安直だな」
 矢沢はコーヒーを口に含んだまま、思わず噴き出した。
「現実なんて、こんな地味なもんなんじゃないのか。それに、派手にやられちゃ困るってんで情報規制してるのはお前たちだろう」
「それはそうだけどね」
 彼女にも色々な思惑はある。もしゼロが本当に異星人であるとの確証が得られれば、その本体を内包するシステムごと取り上げられるかもしれない。
 あるいは、不審を抱く者に狙われることになるかもしれない。それに対抗するには狭く安全性の高くない研究室に置いておくわけにはいかない。どうにしろ今まで通りとはいかなくなる。
 ――これは、名誉欲なんだろうか。
 今のうちに色々な知識を得ておきたいとも思うし、ゼロを横取りされるのは嫌だとも思う。一方で、それは人類の発展に反することかもしれないとも考える。だが、ゼロの扱いを慎重に行うことも彼女の責任だ。
「一週間。つまりあと五日、わたしたちで解明できるところまで解明するわ。その後のことは政府のお役人にでも任せましょう」
 すでに政府に状況は伝えられている。まだゼロの正体に確証がない、と付け加えられているせいもあるだろうが、政府は一度見学の使者をよこしたきり、今のところは科学者たちに任せようという様子だった。
 それにも限界はあるだろう。政府より、研究に参加していないよその科学者たちだ。不公平感が高まれば一般人たちに情報が洩れるのも時間の問題だ。
 冴子は休憩の終わりに、ここが正念場だ、手早くやらなければ――と心に誓った。

 ゼロとの対話は逐一記録に残された。基本的な文化についてのやり取りを終えた後、まずは彼の母星についてやその歴史についての質問と回答が続いた。
 彼がなぜこの地球にやってきたのか、という質問も当然なされた。それに対する彼の回答は『見学のため』だという。
「あなたたちの星では、よその文明と接触するのになにか法規制のようなものはないの?」
『そんなものはないよ。なぜ、規制が必要?』
 きき返されて、冴子は少しの間黙考した。
「うーん……よその文明に大きな影響を与えることはその文明を滅ぼすことに繋がるかもしれないし、何か不手際があれば、あるいは相手が凶暴だったら、自分たちに害を及ぼす結果になるかもしれない。それとも、自分たちより文明レベルの低い惑星にしか来ないのかしら」
『そんなことはないよ。ただ、わたしたちの星でも誰でも他の惑星に行ける訳じゃない。一種の資格が必要とされる』
 どうやら彼らも気軽に異星と接触しているわけではないらしい。価値観がそれほどかけ離れていないとわかると、冴子は少しほっとする。
『でも、資格は取ろうと思えば誰でも取れるようなものだ。それでも、多くの人々は他の惑星に出かける必要性を感じないから、こうして実際に移動する者は少ない』
 そう言われてみればそうだ、と学者たちは納得した。はるかに高度なレベルに達した文明ならば、エネルギー問題や環境問題もとうにクリアしているだろう。もしくは、彼らにとっては最初からそんな問題などないのかもしれない。今はコンピュータの機体に本体を置くがゆえかもしれないが、ゼロは食事も必要としていない。
 何の不自由もしていない者たちが惑星の外に出て行く動機となる最大のものといえはただひとつ、好奇心だ。
 彼はここにいる科学者たちと似たような精神の持ち主かもしれない。そう考えると冴子にも少し親近感が芽生えてきた。
 もともと、ゼロの人格に対してはそれほど悪印象はない。彼は親切で、質問にもはぐらかさず答えてくれ、ユーモアのセンスもあった。彼と普通の人間として知り合ったのなら、冴子もすぐに打ち解けられただろう。
『ところで、きみたちに伝えたいことがある』
 突然、スピーカーから響く声の調子が変わる。
『この座標をきみたちの宇宙開発機関などに調べさせてくれないか』
 これは奇妙な話だと、皆は顔を見合わせた。
 その座標を調べることなど彼には容易かったはずだ。母星で、あるいは地球に来て間もなくにでも勝手にネットに繋がる機械を操作して調べられるはず。
 地球の機関に調べさせることに何か特別な意味があるのか。
 内心はともかくことばでは疑問を挟まず、冴子は彼の言う通りにした。無意味なことはしないだろうとの考えだった。
 ――事実、ゼロの言う通りにして間もなく人々は納得することになる。
『謎の構造物が地球に向かって移動中。構造物の大きさは直径四キロメートル。明日には太平洋上に落下予定』
 JAXAからの一方を受けた研究者たちは納得はしても、ゼロに感謝するような余裕はなくなった。
「今までも彗星が地球のそばをかすめていったりと色々な危機にさらされてきたけれど、なんとか人類は切り抜けてきたが……今度こそ駄目かもな」
 すっかり研究室に入り浸っている矢沢が、少し冗談めかして言う。
 ゼロの存在同様、事態を知るのは極一部の者たちだけだ。世間のほぼすべては今までと変わりない日常を続けているため、なかなか非常事態という雰囲気は感じられない。
 それでも構造物が明日には地球に衝突するであろうことは疑うべくもなかった。次々と、各地の天文台から同様の結果が伝えられてきたからだ。あるところからは、同時に画像が送信されてくる。
 実際の画像ではなく再現したものである、と但し書きがついた画像をモニターに表示すると、周囲の皆は食い入るように覗き込む。
 黒い長方形のクッションのように見えた。表面は滑らかで凹凸はなく、弾力は少しもなさそうだが。
「あきらかに人工物ね」
 正体不明の物体を目を細めて見ると、冴子は溜め息を吐いた。
 政府にすべてを報告し対策本部などが設置される前に、確かめておかなければならない。彼女はゼロが本体を置くシステムのマイクに向き直った。
「ゼロ、あなたは知ってるの? あれが何なのか」
 構造物の飛来を使えることが、ゼロがこの地球に来た目的だったのではないか。彼女にはそう思えてならなかった。
『あれは、わたしの故郷から発射されたものだ』
 これを聞いたあとのわずかな間、科学者たちはことばを発せぬままに混乱した。
 ゼロは友好的な存在だと考えていたのは間違えで、本当は地球を滅ぼすのを確認するためにやってきたのだろうか。しかし、それならわざわざ自ら危険な地に赴くことも、構造物の存在を知らせることもないはずだ。
 いや、降ってくるのは隕石ではなく構造物である。そのまま衝突するのではなく、着陸するのかもしれない。ゼロが先んじて地球の言語や文化を理解し、それを後から来る派遣部隊と共有して交流の円滑化を図る。そういう可能性もあるだろう。
 しかし、ゼロが語り始めた事実はそのどの予想とも違っていた。
 今でこそ彼らは肉体からも解き放たれた存在となっているが、かつては今の地球人類と同じように肉体を持ってのみ活動し、科学の進歩に邁進していた時代もあったという。歴史を記すデータにだけうかがい知れる、遠い昔の話だ。
 その中から、ゼロのような歴史に興味のある者や一部の科学者たちはとある記録に注目した。
 詳細は不明だが、とある実験によりある構造物をある座標に向かって撃ち出した、この結果が判明するのははるかな未来であろう――という一節が歴史書に記されていたのだ。
 一体何の実験で何を撃ち出したのか躍起になって調べても当時の科学者たちは詳しい記録は何一つ残しておらず、この実験は非人道的なため歴史から葬り去るべきと判断されたのだ、いや重要な機密が含まれているために中央政府に詳細を削除されたのだ、などと噂されたという。
 一方で構造物が放たれたとある座標に何があるのかは、少し調べさえすれば誰にでも知ることができた。しかしそれに興味を持つ者はほんの極一部に過ぎない。
 その極一部にゼロは含まれていた。
『いかに我々の科学力をもってしても、ここは余りに遠過ぎる。ここまでやってくるにはそれなりの労力と財力とコネが必要だ。そうまでしようというのはかなりの変わり者だろうね』
 彼は自らを、財力とコネのある変わり者だと断じた。
『はるかな昔のこととはいえ、自分たちの先祖のしたことでよその惑星に迷惑をかけるというのに、それを知らないふりをしてやり過ごすようなことはわたしにはできないと思ったのだよ』
「それはそうだ」
 と、口々に皆は同意した。よその惑星からの実験で危機にさらされている地球人としては当然の反応である。
 ゼロの先祖たちが実験を開始した時点では地球には人類、あるいは地球自体も存在しなかったのかもしれない。無作為に選んだ座標にたまたま今、地球が存在してしまっただけというのも考えられる。
 とはいえ、それは現に地球が標的となった今では考えても仕方がないことだろう。
「それで、あの構造物の落下を防ぐ方法は? あるいは、あれは地球に被害をもたらさないものなのかしら?」
 冴子はやっと最も重要な質問を口にした。
 どういう答が得られるかと、誰もが固唾を呑んで見守る。きっと打開策を提示してくれるだろう、と期待する者も少なくなかっただろう。
 しかし冴子はそう楽観的にはなれなかった。先ほどの話では、ゼロや彼の惑星の科学者たちの調べでも実験の詳細や構造物の正体はわからなかったというのだ。ならば、それを止める手段も不明のままのはずだ。
 ゼロはしばらく考えるような間を置いて応じる。
『確実な対策にはならないかもしれないが、いくつか案は持ってきた。実現には、地球の諸君の力が必要だ』


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